ほっと一息、ひとりごと

日常をキリトリ✂

祖父の最後

祖父が亡くなった。コロナであまり面会は出来なかったけれど、臨終間際にグループ通話で祖父に会うことができた。

祖父は癌を告知されてからしばらく元気だった。新居にも遊びに来てくれたし、畑で野菜を育てていた。8月のはじめには一緒に食事をした。息子の食べっぷりを喜んでくれて、祖父自身もランチを完食していた。しかし8月半ばから急に体調が悪くなり、危篤状態で1ヶ月過ごし、今日旅立った。

よくわからないけれど、癌は身体の内部が腐っていくような病気なのかもしれない。8月末に私が面会したときは痛みをなるべく感じないようにと薬で寝ている状態だった。見た感じも小さくしなびて、手は浮腫んでいた。その様子を見たとき、もう長くはないだろうということと、どうせ死んでしまうなら早く楽になりたいんじゃないか、祖父はどうして頑張っているんだろう、それとも人間意外と死にきれないものなのだろうか、などと考えていた。冷たいのかもしれない、でも涙は出なかった。

死というものはピンとこない。もし輪廻転生があれば知らぬ間にまたどこかで巡り会えるのではないだろうか。それに死んでも記憶がある限りその人に関連するものを見たときや、似ている人間を通してその人に会うことができる。直接その人に会うことはもうないけれど、お互い生きていても(恐らく二度と)会う機会がない知り合いはたくさんいる。それと大差ないのでは、と思ってしまうのだ。

生きていてももう会うことがない人たちより、時々思い出して記憶の中で会える。その方がよっぽど寂しくない。でも残された方はやっぱり少し悲しいかな。穏やかな気持ちで祖父を思うことができる、そんな日を迎えられるようしっかりお別れをしてこよう。